(昔の記憶が曖昧になってしまっているので思い出せるところから書きながら今まの記事も修正しながらやっていこうと思います。)
脳出血をしたのにも関わらず朝からアルコールを飲むようになったのは長男中2、次男小2あたりでした。
当時、私の仕事は土日も月3日から4日くらいあるところでした。私としては自分が仕事いくのに主人は朝からお酒。
当然喧嘩も絶えません。いつも私が嫌味を言ってから仕事に行くという感じでした。その後しばらくすると携帯に電話が入り「てめー早く帰ってこいよ!」「いい気になりやがって」と電話で怒鳴られることもありました。
後で知ることになるのですが、次男はある時私に言いました。
「僕、パパと一緒にいるのいやだ」
長男は部活があったので良いのですが、次男は主人と2人きりになることが多かったんですね。かなりの命令口調で色々と指示され、反抗すると怒鳴られていたようでした。
そんなことが重なり、仕事を辞めることを決意。土日祝日完全に休みになる仕事を探すことにしたのです。
その時の次男がほっとした顔は忘れられないですね。相当酷い事を言われていたのだと思ったら可哀そうでなりませんでした。
それからは主人と子どもだけという環境には絶対にしないようにしていました。
そのようにしていても毎日のように朝からお酒を飲み、寝て、起きたらまた飲んでの繰り返しでした。
起きていると怒鳴られるし、夕飯の雰囲気もかなり悪く家族の会話はなく「早くパパ寝てくれないかな」と言葉にしなくてもそんな感じでした。
寝てくれるとみんながほっとして、ゆっくりとくつろげる、好きなテレビも遠慮なくみられるし、会話が弾んでいました。
そのころの私は主人のうつ病よりもアルコールの方が嫌で夜は早くねて欲しかったので飲ませて寝かせるという毎日だったように思います。
起きていられるのが私とってはうざかった。毎日疲れて帰ってきているのに、何もしない主人がうざくてたまらなかったんですね。
その時点でアルコール依存症の病院へ行ってみることだったと思いますが、私自身もかなり精神的にも参っており、自分が倒れたら子どもたちがどうなるかと思うと主人のことは後回しになっていて・・・
後回しというより主人のことを考えることも面倒でどうなってもいいかというほどの精神状態まできていたと思います。
私もまともな考えができなくなっていたんです。
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現在全く飲んでいない主人に当時のことを聞いてみるとまともじゃなかった、気がくるってた、酒は飲みたくないのに飲まなきゃならなくなっていた、ということを言っています。
「飲みたくないのに飲まされている」
そんな感覚だったそうです。
アル中、恐ろしいですね。私は絶対にそんなことで自分の人生を台無しにしたくないと思いました。
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お酒を飲んでは寝て、起きて自転車でお酒を買いに行くことも多くなり帰りに転んでしまい肩を痛めたこともありました。
近所の病院で受診したところ骨が折れており手術が必要だったというのですが、肝臓の数値があまりにも高くこの数字はアル中だと言われ、まずはアルコールをやめるために専門の病院を勧められました。
病院を紹介してもらい入院が決まったのが2017年9月でした。
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